新潟青年会議所 設立趣意書
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1953年、当時の東京JC(児玉邦彦氏(総業山富会長)新津義雄氏(丸新石油社長)風間賢治郎氏(タウンホテル社長))から新潟商工会議所会頭、和田閑吉氏にJC設立の依頼があり、石本準一氏に新潟JC設立の依頼があった。石本準一氏は日本JC・東京JCと連絡を取り、規則・綱領などを入手新潟JCの基礎を構築し、仲間を募り始め、1954年、新潟青年会議所が誕生したのである。設立総会 はホテルイタリア軒で行われ、設立時の会員数は30名を数えた。同年10月8日に日本JCに承認される事となった。以下が新潟青年会議所の設立趣意書である。

 

戦後、我が国は、民主化の新しい構想に基きあらゆる分野に亘りその再建と発展が遂げられつつあるが、今後の経済社会の健全な進歩発達を図るためには、青年のもつ熱情とたゆまざる努力に期待するところが甚だ大きいものがある。  そこでわれわれ実業に携はる青年が、理解ある提携と相互の協力のもとに、団結し、或は意見を発表し、懇談を交え、討議を行いそれぞれの公正な与論を形成すると共に、共通目的のためにその総力を合せて実現を期し、共々に経済の発展と社会福祉に寄与しようとするのが青年会議所設立の根本とするところである。  今や青年会議所は正しい理想と熱情によつて、世界各地に発展し、我が国に於ても既に四十五地区に設立を見るに至つている。  今般我が新潟市に於て、同士相集い、これが設立の議がまとまり、品位ある青年の活動体としてあらゆる青年実業人を結集し、建設的態度を以つてこれが運営発展を図らんとするものである。

1954年10月4日

設立趣意書80

 

 

 

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新潟青年会議所設立から13年半の期間を経て、社団法人新潟青年会議所を設立する際の設立趣意書も合わせて記載しておく

 

社団法人新潟青年会議所 設立趣意書

予期もしなかった日本の敗戦、その混乱の中で人々は、無欲、無心の放心状態となりました。その様な中で、私達青年がいち早く新しい日本の姿を創造しようという大きな目標をもって立ち上ったのは今から20年程前、これが日本での青年会議所運動の始まりでありました。  私達新潟青年会議所もこの激しい日本の平和を願う運動に同調し青年経済人の同士を結集し、昭和29年10月に設立されてから15年近い歳月を経て今日に至って居ります。此の間私達は日本の経済の正しい発展を目指し、指導者訓練を基調とした修練をはかり、産業、経済の実態を私達青年経済人の立場から調査、研究し正しい世論を結集して、地域社会の開発、日本の福祉国家建設に、邁進して参りました。そしてこの新潟青年会議所は会員120名を超す大きな組織に発展して参りました。

私達新潟青年会議所はこの際、社団法人として一段と組織を強化し、創立当時の精神とその使命の重要さを再確認し、正しい経済の発展をはかり、若人らしい経済活動を進展させ、平和な福祉国家建設に持てる力を充分に発揮して、活動を展開してゆきたいと思って居ります。  私達会員は今日の容易ならぬ経済状態において、あえて取り組み、正しい近代福祉国家建設という大きな目的に一歩一歩近づくためにも、会員相互の信頼と切磋琢磨により、よりよき社会建設の為に指導者として人格修練につとめ、経済の発展に尽くす事を期し従来の新潟青年会議所を発展的に解消し、茲に社団法人新潟青年会議所を設立したいと考えます。

1968年2月20日