資源問題
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『オイルショックがはじまった』

1973年(昭和48年)10月、第4次中東戦争が勃発し、原油価格はわずか3カ月の間に1バレル3ドルから11.65ドルと約3倍にまで急騰した。これが第1次オイルショックである。そして、1979年(昭和54年)2月のイラン革命の混乱により、イランの石油輸出がストップ。原油価格のさらなる高騰(第2次オイルショック)を招いたのである。

 

 

『省エネを考える』

このようなオイルショックを受け、新潟青年会議所では1979年(昭和54年)、新潟青年会議所創立25周年記念講演会として、堺屋太一氏を招いてエネルギー問題に関する講演会『油断』を開催し多くの反響が寄せられた。1980年(昭和55年)、新潟商工会議所、新潟県を豊かにする会、新潟地域各エネルギー懇談会等との共催により、パネル討論会「“80年代をどう生きるか”-くらしとエネルギーを考える-」を開催し、省エネ時代の未来像に聴衆の深い関心が集まる討論会となった。

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また、講演会・討論会だけでなく、省資源、省エネルギーの市民啓発を図るために、「みんなでやろう省資源大作戦」と銘打ち、各家庭での死蔵品・不用品の販売会も開催した。さらに、この販売会での収益金をもとに“生活の知恵で生かそう世界の資源”と刻んだ碑を製作し新潟市に寄贈。寄贈された碑は、訪れた多くの人たちに省資源・省エネルギーへの思いを高めてもらおうと、新潟市の海浜公園に建立されることとなった。このように、新潟青年会議所はオイルショックによって湧き起こった「資源問題」に対する運動も積極的に展開していったのである。

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