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	<title>JCの歴史｜13新潟JC 一般社団法人新潟青年会議所 &#187; １９８０年代</title>
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	<description>JCのこころ委員会JCの歴史紹介サイト</description>
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		<title>ＪＣＩ国際アカデミー</title>
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		<pubDate>Mon, 19 Aug 2013 20:33:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ＪＣのこころ委員会</dc:creator>
				<category><![CDATA[国際親善に資する事業]]></category>
		<category><![CDATA[１９８０年代]]></category>
		<category><![CDATA[１９９０年代]]></category>

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		<description><![CDATA[『新潟地域ビジョンから９年』 １９８７年（昭和６２年）、当時の福田実理事長のもと新潟青年会議所メンバーが一丸となり、新潟地域の過去と現在を分析し、今後の時代の流れを読み取ったうえで、「自分たちの都市は、こういう都市であり [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: x-large;"><b>『新潟地域ビジョンから９年』</b></span></p>
<p>１９８７年（昭和６２年）、当時の福田実理事長のもと新潟青年会議所メンバーが一丸となり、新潟地域の過去と現在を分析し、今後の時代の流れを読み取ったうえで、「自分たちの都市は、こういう都市でありたい」という目標が設定された。そして、その目標を具現化するための具体的な方策が議論・検討され、「新潟地域ビジョン・にいがたウェルカムシティ」という形で集約された。新潟地域ビジョン策定から９年、新潟空港の滑走路２，５００メートル化などの国際的商業都市としての基盤整備が充実していく一方、より多くの人々にそれらを活用して新潟に来訪してもらうための一つの切り口として、１９９６年（平成８年）津吉孝司理事長のもと、「国際的大規模コンベンションの誘致」活動が大きな一歩を踏み出すこととなる。それが、「ＪＣＩ国際アカデミー」の新潟への誘致活動である。</p>
<p><span style="font-size: x-large;"><b>『ＪＣＩ国際アカデミーとは』</b></span></p>
<p>「ＪＣＩ国際アカデミー」とは、日本青年会議所のメイン事業の一つであり、１９８７年（昭和６２年）１１月のアムステルダムにおける世界会議でＪＣＩの公認行事として正式に承認され、４つの目的を達成されるべく始められた。目的の一つには、世界各地から集まる若者たち同士、並びに日本ＪＣのメンバーとの相互理解を深めること。二つには、トレーニングの機会を与えて明日のリーダーを育てること。三つには、ＪＣＩをより良くし、全体的な発展に寄与すること。四つには、最終的には、恒久的かつ永久の世界平和確立に貢献することである。約１週間の会期の中で、各国の青年会議所リーダーが集まり、指導力向上のトレーニングなどを通じて、全世界的な「ヒューマン・ネットワーク」の構築などを目指して開催されるものである。</p>
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<p><span style="font-size: x-large;"><b>『開催地決定！』</b></span></p>
<p>津吉孝司理事長のもと、次回開催予定の第１０回国際アカデミー開催地としての立候補、「招致推進連絡会議」の発足など、新潟青年会議所の全体事業として様々な招致推進が行われていった。しかし、第１０回の開催地は北九州に決定。国際アカデミー誘致のバトンは、１９９７年（平成９年）の宇尾野隆理事長に引き継がれることとなったのである。宇尾野隆理事長が率いたさらなる誘致活動の結果、ついに第１１回国際アカデミーが新潟の地で行われることに決定したのである。</p>
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<p><span style="font-size: x-large;"><b>『第１１回国際アカデミー』</b></span></p>
<p>新潟開催の決定直後から、開催に向けた様々な活動がスタートし、準備プロジェクトの立ち上げ、新潟県・新潟市等行政への支援依頼、日本青年会議所・理事会へのお礼や挨拶、ホノルル世界会議での次年度開催地としてのＰＲなど、その準備活動は開催の年となる早福豊理事長の時代へと引き継がれていく。早福豊理事長は、国際アカデミーの新潟開催という事業を通じて「新潟青年会議所を一つにしよう」と考え、新潟青年会議所メンバーが一丸となって準備・運営に邁進したのである。１９９８年（平成１０年）７月、新潟で開催された第１１回国際アカデミーには、海外７２ヶ国からの参加者と国内各地域の青年会議所の中心メンバー５４名が参加した。海外からの参加者は新潟市内でホームステイをし、日本の暮らしを体験した。海外を含めた多くの人々に国際商業都市新潟をアピールするに至ったのである。</p>
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		<title>日本海夕日キャンペーンの支援</title>
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		<pubDate>Sun, 23 Jun 2013 07:06:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ＪＣのこころ委員会</dc:creator>
				<category><![CDATA[社会開発及び青少年開発に関する事業]]></category>
		<category><![CDATA[１９８０年代]]></category>

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		<description><![CDATA[『若手旅館経営者が立ち上がる』 　１９８５年（昭和６０年）、上越新幹線や関越自動車道などの高速交通体網が整備された頃､新潟市の若手旅館経営者には「新潟市が通過点になってしまう」という危機感が高まっていた。首都圏との交通ア [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p align="left"><span style="font-size: x-large;">『若手旅館経営者が立ち上がる』</span></p>
<p align="left">　１９８５年（昭和６０年）、上越新幹線や関越自動車道などの高速交通体網が整備された頃､新潟市の若手旅館経営者には「新潟市が通過点になってしまう」という危機感が高まっていた。首都圏との交通アクセスのよさが、新潟市を「通過点」に変えてしまうのではないか。街の魅力を創造し、人を新潟に引きつけたい、新潟という街を元気にしたいという思いから、新潟市旅館協同組合青年部の人たちが立ち上がった。テーマを「トキ」から「日本海と夕日」に変え、日本海夕日キャンペーンが産声をあげたのである。</p>
<p align="left"><span style="font-size: x-large;">『夕日コンサートの開催』</span></p>
<p align="left"> 　旅館組合青年部を中心に、１１人の市民実行委員会が集まった。そして、１９８６年（昭和６１年）８月６日、新潟市関屋浜で初の日本海夕日コンサートが開催された。夕日はわずかに顔を見せただけではあったが、４０００人が参加し、大成功を収めた。現在まで続く夕日キャンペーンの始まりなのだ。 新潟青年会議所も運営へ主体的に関わり、支援をすることでその礎を築く一部となった。市民と新潟青年会議所の協働により、新潟の多様な可能性を引き出してきたのである。</p>
<p align="left"><img alt="93FA967B8AC975B93FA83L8383839383y815B8393" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/06/93FA967B8AC975B93FA83L8383839383y815B8393.jpg" width="310" height="232" /></p>
<p align="left"><span style="font-size: x-large;">『人間力大賞の受賞』</span></p>
<p align="left">　１９９８年（平成１０年）には、日本海夕日キャンペーンの代表である樋口潤一氏が、新潟青年会議所の推薦を受け、「夏の夕日を背景に老若男女が集える場ができたらという発想から、『日本海夕日コンサート』を提唱、開催」したことについて、「社団法人日本青年会議所人間力大賞」の「まちづくり・地域貢献」部門を受賞されたのである。</p>
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		<title>国際的大規模のコンベンション誘致</title>
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		<pubDate>Sun, 23 Jun 2013 06:55:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ＪＣのこころ委員会</dc:creator>
				<category><![CDATA[社会開発及び青少年開発に関する事業]]></category>
		<category><![CDATA[１９８０年代]]></category>

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		<description><![CDATA[『新潟地域ビジョンから９年』 １９８７年（昭和６２年）、当時の福田実理事長のもと新潟青年会議所メンバーが一丸となり、新潟地域の過去と現在を分析し、今後の時代の流れを読み取ったうえで、「自分たちの都市は、こういう都市であり [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: x-large;"><b>『新潟地域ビジョンから９年』</b></span></p>
<p>１９８７年（昭和６２年）、当時の福田実理事長のもと新潟青年会議所メンバーが一丸となり、新潟地域の過去と現在を分析し、今後の時代の流れを読み取ったうえで、「自分たちの都市は、こういう都市でありたい」という目標が設定された。そして、その目標を具現化するための具体的な方策が議論・検討され、「新潟地域ビジョン・にいがたウェルカムシティ」という形で集約された。その後の新潟青年会議所では、このビジョンをもとにした運動が次々に展開されていったのである。</p>
<p><img alt="ウエルカム１" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/05/562169930378d92f54f4a8285dfd38de.jpg" width="327" height="447" /> <img alt="コンペンション２" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/05/0d04dcd0ffb7c1d6baa34b2dd4cca209.jpg" width="202" height="428" /></p>
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<p>新潟地域ビジョン策定から９年、新潟空港の滑走路２，５００ｍ化などの国際的商業都市としての基盤整備が充実していく一方、より多くの人々にそれらを活用して新潟に来訪してもらうための一つの切り口として、１９９６年（平成８年）津吉孝司理事長のもと、「国際的大規模コンベンションの誘致」活動が大きな一歩を踏み出すこととなる。それが、「ＪＣＩ国際アカデミー」の新潟への誘致活動である。</p>
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<p><span style="font-size: x-large;"><b>『ＪＣＩ国際アカデミーとは』</b></span></p>
<p>「ＪＣＩ国際アカデミー」とは、日本青年会議所のメイン事業の一つであり、１９８７年（昭和６２年）１１月のアムステルダムにおける世界会議でＪＣＩの公認行事として正式に承認され、４つの目的を達成されるべく始められた。目的の一つには、世界各地から集まる若者たち同士、並びに日本ＪＣのメンバーとの相互理解を深めること。二つには、トレーニングの機会を与えて明日のリーダーを育てること。三つには、ＪＣＩをより良くし、全体的な発展に寄与すること。四つには、最終的には、恒久的かつ永久の世界平和確立に貢献することである。約１週間の会期の中で、各国の青年会議所リーダーが集まり、指導力向上のトレーニングなどを通じて、全世界的な「ヒューマン・ネットワーク」の構築などを目指して開催されるものである。</p>
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<p><span style="font-size: x-large;"><b>『開催地決定！』</b></span></p>
<p>津吉孝司理事長のもと、次回開催予定の第１０回国際アカデミー開催地としての立候補、「招致推進連絡会議」の発足など、新潟青年会議所の全体事業として様々な招致推進が行われていった。しかし、第１０回の開催地は北九州に決定。国際アカデミー誘致のバトンは、１９９７年（平成９年）の宇尾野隆理事長に引き継がれることとなったのである。宇尾野隆理事長が率いたさらなる誘致活動の結果、ついに第１１回国際アカデミーが新潟の地で行われることに決定したのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: x-large;"><b>『第１１回国際アカデミー』</b></span></p>
<p>新潟開催の決定直後から、開催に向けた様々な活動がスタートし、準備プロジェクトの立ち上げ、新潟県・新潟市等行政への支援依頼、日本青年会議所・理事会へのお礼や挨拶、ホノルル世界会議での次年度開催地としてのＰＲなど、その準備活動は開催の年となる早福豊理事長時代へと引き継がれていく。早福豊理事長は、国際アカデミーの新潟開催という事業を通じて「新潟青年会議所を一つにしよう」と考え、新潟青年会議所メンバーが一丸となって準備・運営に邁進したのである。１９９８年（平成１０年）７月、新潟で開催された第１１回国際アカデミーには、海外７２ヶ国からの参加者と国内各地域の青年会議所の中心メンバー５４名が参加し、海外を含めた多くの人々に国際商業都市新潟をアピールするに至ったのである。<img alt="コンペンション３" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/05/a2d6dc483de464977c2c96e967df384f.jpg" width="664" height="457" /></p>
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		<title>アジア経済ミッション</title>
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		<pubDate>Fri, 17 May 2013 07:25:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ＪＣのこころ委員会</dc:creator>
				<category><![CDATA[国際親善に資する事業]]></category>
		<category><![CDATA[１９８０年代]]></category>

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		<description><![CDATA[『新潟から世界へ　世界から新潟へ』 １９８８年（昭和６３年）、アジア経済ミッションは、国際化時代にあって、従来の大都市、とりわけ東京を経由した国際社会との係わり合いではなく、新潟という都市が、そして我々自身が、国の枠を超 [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: x-large;">『新潟から世界へ　世界から新潟へ』</span></p>
<p>１９８８年（昭和６３年）、アジア経済ミッションは、国際化時代にあって、従来の大都市、とりわけ東京を経由した国際社会との係わり合いではなく、新潟という都市が、そして我々自身が、国の枠を超え、都市間相互のまた経済という部分での関連を深め、人・物・情報の交流を行いながら、国際化への道を歩むことが必要と考え、まずメンバー自身のビジネスチャンスに、ひいては国際商業都市新潟の第一歩にならんことを願い執り行われた。<img alt="経済１" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/05/45a2c30ee8199d73dd85927ce58ccc8a.jpg" width="613" height="355" /></p>
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<p><span style="font-size: x-large;">『ミッション（視察）内容は』</span></p>
<p>本ミッションでは３コースに分かれ香港、台湾、韓国を訪問。特に当時香港の生涯基地として脚光を浴びていた中国の経済特区深圳（シンセン）、厦門（シアメン）の視察も行われた。</p>
<p><img alt="経済２" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/05/96d36a0336ae8b242c684a23b18887241.jpg" width="660" height="221" /></p>
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<p>台湾では国際青年商会中華民国総会と交流、またソウルにおいてはヨイド青年会議所の１２周年記念式典に参加。ボーリング大会、ホームステイを通じお互いの生活の場にふれ異文化への理解を深めた。各地で熱気あふれる各国の実体にふれ、日本経済とアジア経済がぶつかり合った瞬間を目の当たりにし、目と足で実感したことは、まさに経済ミッションの価値であった。<img alt="経済４" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/05/2a7ec63b4c75e313bd621f46db5d3474.png" width="594" height="389" /></p>
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		<title>信濃川•手作りいかだ下り</title>
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		<pubDate>Fri, 17 May 2013 06:58:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ＪＣのこころ委員会</dc:creator>
				<category><![CDATA[社会開発及び青少年開発に関する事業]]></category>
		<category><![CDATA[１９８０年代]]></category>

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		<description><![CDATA[『信濃川により親しみを持ってもらいたい』 「信濃川•手作りいかだ下り」とは新潟日報社主催の元１９８３年（昭和５９年）８月２１日「我が都市にいがたの明日を考える」事業の一環として、母なる信濃川を自ら製作した「いかだ」で下り [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: x-large;">『信濃川により親しみを持ってもらいたい』</span></p>
<p>「信濃川•手作りいかだ下り」とは新潟日報社主催の元１９８３年（昭和５９年）８月２１日「我が都市にいがたの明日を考える」事業の一環として、母なる信濃川を自ら製作した「いかだ」で下り、その趣向と速さを競いながら川に親しみ、川を愛し、川の存在を再認識する心を養い、川によって東西に分断された「新潟の心」を一つにまとめ、新しい未来の都市づくりを目指そうと行われた事業である。 <img alt="いかだ下り1" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/05/9ec230187fa38c78a9bfc26e696959fd.jpg" width="650" height="410" /></p>
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<p><span style="font-size: x-large;">『第１回信濃川•手作りいかだ下り』</span></p>
<p>「第１回信濃川•手作りいかだ下り」は市民から４０８チーム、２,７００名の応募があり、抽選で選ばれた１１０チーム、６７０名が参加した。実行委員会は大会当日まで１００回を超す会議が行なわれ当日の成功に備えた。コースは花の牧　酒屋水位観測所〜新潟市万代橋までの約１３０キロ。廃品など様々な物を使い、市民の創意工夫溢れるいかだが速さを競いゴールを目指した。当日午後行われた表彰式では、大会会長与田一憲理事長の挨拶の中で、「またやってもいいかな！！」という言葉に盛大な拍手が行われ無事大会は終了した。<br />
<img alt="いかだ下り14" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/05/f70ba80a0b70e60dca730dc75a35fe84.jpg" width="612" height="402" /></p>
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<p><span style="font-size: x-large;">『市民の反応は』</span></p>
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<p>その後広報委員会より市民の声１００人アンケートが行なわれ、</p>
<p>◎手作りいかだ下りを知っているか？</p>
<p>知っている　８４人<br />
知らない　　１６人</p>
<div>
◎いかだ下りをどう思ったか<br />
やった方がいい　６９人<br />
わからない　　　１２人<br />
やめた方がいい　　５人</div>
<p>と賛同の声が多く、「今後のいかだ下りはどうあるべきか」には、ほとんどの方が良かった、観たかったとの声が多数をしめたが、危険なのでやめた方が良いという声も上がった。</p>
<p>新潟市民から高い関心が寄せられたこの事業は１９８５年（昭和６１年）まで開催され市民に親しまれた。</p>
<p><img alt="いかだ下り6" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/05/5d625eef0eb772a4fb32a295faeeb9da.jpg" width="667" height="791" /></p>
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		<item>
		<title>都市問題委員会誕生による、都市づくりの公開例会開催</title>
		<link>https://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/?p=917</link>
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		<pubDate>Fri, 17 May 2013 06:57:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ＪＣのこころ委員会</dc:creator>
				<category><![CDATA[社会開発及び青少年開発に関する事業]]></category>
		<category><![CDATA[１９７０年代]]></category>
		<category><![CDATA[１９８０年代]]></category>

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		<description><![CDATA[『魅力ある新潟の建設を目指して』 １９７９年度より発足した都市問題委員会。「都市問題って何だろう？」それは実に漠然とした問題であった。我々が新潟に住んでいて毎日の生活の中で何らかの不満を持ち、不便さを感じ、他の都市に憧れ [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: x-large;">『魅力ある新潟の建設を目指して』</span></p>
<p>１９７９年度より発足した都市問題委員会。「都市問題って何だろう？」それは実に漠然とした問題であった。我々が新潟に住んでいて毎日の生活の中で何らかの不満を持ち、不便さを感じ、他の都市に憧れをもったりしているのは現実であるのだから高邁な議論を振りかざす前に、まず具体的に新潟を見直してみよう、客観的な目線で分析してみようという形に、なんとか専門家のお話を聞いてそこから活動の糸口をみいだそうとスタートした。</p>
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<p><span style="font-size: x-large;">『可もない不可もない新潟』</span></p>
<p>そこで同年２月例会に早稲田大学の森先生を招き、新潟の持っている都市機能を分析し他の都市と比較していただいた。その結果、新潟は可も無く不可もなく、しいて言えば緑が少なく、飲み屋の多いなんとなく住みよい街であるということであった。また同年９月６日の２５周年記念事業の一環として行われた「わが都市新潟のあしたを語る～１８０分の夕べ～」では、建築家黒川紀章氏を講師に招き、「地域社会の未来」と題して講演いただいた。</p>
<p><img alt="名称未設定 1" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/05/ae46b1f460ee46f789c27b264a6cb421.jpg" width="578" height="384" /></p>
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<p>翌年１９８０年１０月には、「わが都市新潟、みつめよういま、伸ばそう未来へ」と題して公開例会を開催。こうした経験をふまえて１９８１年の９月公開例会では、「みつめよういま、つくろうわが都市新潟のイメージを」のテーマのもと、魅力ある新潟の都市づくりの為にはまず第一に新潟の都市の顔を作る必要があると考えられ、新潟の都市のシンボルイメージは「水」であるということが認識された。<img alt="４０万" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/05/6a4af0d2c4ed7ebf9e59f739271ed130.jpg" width="594" height="360" /></p>
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<p><span style="font-size: x-large;">『新潟をどう伸ばしていったらよいか』</span></p>
<p>新潟の街を良くしていけるのは最後には、そこに住む我々だけだということであった。従来の工業をテコに伸びてきた型の大都市とするならば、これから造らなければならない地方の大都市というのは、商業機能、あるいは情報機能、あるいは文化機能を持った大都市ではないだろうか。コンピューター、航空機、放送局、出版社、広告、デザイン、ファッション、芸術、教育、さらに新学園都市のような大学を含めて、本来の意味で知識集約型産業を誘致できる都市を目指さなければならないと思う。</p>
<p><img alt="４０万２" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/05/246eb559198825776122feae3a7c521a.jpg" width="638" height="585" /></p>
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		<title>北方領土問題</title>
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		<pubDate>Fri, 17 May 2013 06:57:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ＪＣのこころ委員会</dc:creator>
				<category><![CDATA[産業•経済及び文化に関する事業]]></category>
		<category><![CDATA[１９８０年代]]></category>

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		<description><![CDATA[『北方領土問題とは？』 北方領土問題とは、第二次大戦末期の１９４５年（昭和２０年）８月９日に当時のソ連が日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年８月２８日から９月５日までの間に、我が国固有の [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: x-large;">『北方領土問題とは？』</span></p>
<p>北方領土問題とは、第二次大戦末期の１９４５年（昭和２０年）８月９日に当時のソ連が日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年８月２８日から９月５日までの間に、我が国固有の領土である北方四島（択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島）を一方的に自国領に編入し、今日までソ連、ロシアによる不法占拠が続いているという問題である。</p>
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<p><span style="font-size: x-large;">『視察のきっかけは』</span></p>
<p>１９８３年（昭和５８年）度の日本青年会議所の北方領土推進委員会の内藤宏武委員長は新潟青年会議所のメンバーであった。当時の新潟青年会議所（与田一憲理事長）の国家問題委員会（橋田憲司委員長）では、内藤委員長をバックアップするとともに、北方領土問題を語る前に実際にノサップ岬に行き、自分たちの目で見てみるべきであるということから、北方領土視察が実現した。</p>
<p><img class=" wp-image-907 alignleft" alt="北方領土１" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads/2013/05/42a33ea36ea3a7bbf5f680234a9ffced.jpg" width="713" height="536" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: x-large;">『ノサップ岬へ』</span></p>
<p>同年８月６日、新潟青年会議所から総勢２６名（道外ＬＯＭの最多登録表彰を受けた）が根室に入り、前夜祭に参加した。前夜祭には深谷総務副長官をはじめとする政府高官も多数参加して行われた。翌８月７日、途中根室市の明治公園で視察祈念の千島桜の植樹を行い、その後ノサップ岬へ到着。残念ながら、霧のため島はよく見えなかったが、「厳しい現実」がそこにはあった。いつの間にかソ連の監視艇が眼前に現れたとき、十数隻の日本漁船は白波を立てて一斉に港に逃げ帰ってきたのである。この光景を見た橋田委員長は、「取り戻そう、北方四島」の意を一段と強くしたという。</p>
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<p><span style="font-size: x-large;">『盛大な記念式典』</span></p>
<p>日本青年会議所の主催により、ノサップ岬で記念式典が行われた。世論喚起のために行われた「列島縦断３４００キロリレーマラソン」の最終地がここノサップ岬であり、沖縄を出発して引き継がれたタスキをかけた内藤委員長は、式典参加者２０００人が見守る中、しっかりとした足取りでゴールインし、感動を呼んだ。こうして日本青年会議所の第１４次北方領土視察団は、所期の目的を成し遂げたのである。</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-908" alt="北方領土２" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads/2013/05/187c77c499e23312f92417eb1e77cb98.jpg" width="661" height="512" /></p>
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		<title>新潟・グアム定期航空路誘致活動</title>
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		<pubDate>Sat, 20 Apr 2013 02:32:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ＪＣのこころ委員会</dc:creator>
				<category><![CDATA[国際親善に資する事業]]></category>
		<category><![CDATA[１９８０年代]]></category>

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		<description><![CDATA[『夢の新潟＝グアム便』 １９８９年（昭和６３年）（五十嵐祐司理事長）に当時、チャーター便で結ばれていた新潟＝グアム間の空路を定期化したいという志を持ち、グローバルＮＩＩＧＡＴＡ委員会　冨山道郎委員長を中心にグアム、パシフ [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: x-large;">『夢の新潟＝グアム便』</span><br />
１９８９年（昭和６３年）（五十嵐祐司理事長）に当時、チャーター便で結ばれていた新潟＝グアム間の空路を定期化したいという志を持ち、グローバルＮＩＩＧＡＴＡ委員会　冨山道郎委員長を中心にグアム、パシフィックＪＣを訪問した。同ＪＣは、グアムに６ＬＯＭ、サイパンに１ＬＯＭを構成するＮＯＭである。（ＬＯＭ（Ｌｏｃａｌ　Ｏｒｇａｎｉｚａｔｉｏｎ　Ｍｅｍｂｅｒ）とは地域ごとの青年会議所の事、ＮＯＭ（Ｎａｔｉｏｎａｌ　Ｏｒｇａｎｉｚａｔｉｏｎ　Ｍｅｍｂｅｒ）とはＬＯＭをとりまとめている国ごとの青年会議所の事）</p>
<div><img alt="" src="wp-content/uploads/2013/04/7007d5412b6de455b0e2f8838e8f3884.jpg" width="277" height="401" /><span style="font-size: x-large;">『交流から』</span><br />
現地では、トニー・ラモレナ会頭、タイロン・タイタノ副会頭を始め、ＮＯＭスタッフ、各ＬＯＭ理事長と懇談会が行われた。また、グアムの副知事、議長、在グアム日本総領事、日本人会等を表見訪問するなど、官民主要メンバーとアットホームな交流を体験した。成果は十二分で、グアムの方々の新潟への高い関心を肌で感じ取った。</div>
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<div><img alt="" src="wp-content/uploads/2013/04/c781512d52223ad3afc2c822fcea89ac.jpg" width="472" height="265" /></div>
<div>現在では週２回新潟空港より新潟＝グアム便が運航されている。</div>
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