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	<title>JCの歴史｜13新潟JC 一般社団法人新潟青年会議所 &#187; 国際親善に資する事業</title>
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		<title>新潟青年会議所　設立趣意書</title>
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		<pubDate>Wed, 13 Nov 2013 06:03:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ＪＣのこころ委員会</dc:creator>
				<category><![CDATA[国際親善に資する事業]]></category>
		<category><![CDATA[１９５０年代]]></category>

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		<description><![CDATA[１９５３年、当時の東京ＪＣ（児玉邦彦氏（総業山富会長）新津義雄氏（丸新石油社長）風間賢治郎氏（タウンホテル社長））から新潟商工会議所会頭、和田閑吉氏にＪＣ設立の依頼があり、石本準一氏に新潟ＪＣ設立の依頼があった。石本準一 [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>１９５３年、当時の東京ＪＣ（児玉邦彦氏（総業山富会長）新津義雄氏（丸新石油社長）風間賢治郎氏（タウンホテル社長））から新潟商工会議所会頭、和田閑吉氏にＪＣ設立の依頼があり、石本準一氏に新潟ＪＣ設立の依頼があった。石本準一氏は日本ＪＣ・東京ＪＣと連絡を取り、規則・綱領などを入手新潟ＪＣの基礎を構築し、仲間を募り始め、１９５４年、新潟青年会議所が誕生したのである。設立総会 はホテルイタリア軒で行われ、設立時の会員数は３０名を数えた。同年１０月８日に日本ＪＣに承認される事となった。以下が新潟青年会議所の設立趣意書である。</p>
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<p>戦後、我が国は、民主化の新しい構想に基きあらゆる分野に亘りその再建と発展が遂げられつつあるが、今後の経済社会の健全な進歩発達を図るためには、青年のもつ熱情とたゆまざる努力に期待するところが甚だ大きいものがある。 　そこでわれわれ実業に携はる青年が、理解ある提携と相互の協力のもとに、団結し、或は意見を発表し、懇談を交え、討議を行いそれぞれの公正な与論を形成すると共に、共通目的のためにその総力を合せて実現を期し、共々に経済の発展と社会福祉に寄与しようとするのが青年会議所設立の根本とするところである。 　今や青年会議所は正しい理想と熱情によつて、世界各地に発展し、我が国に於ても既に四十五地区に設立を見るに至つている。 　今般我が新潟市に於て、同士相集い、これが設立の議がまとまり、品位ある青年の活動体としてあらゆる青年実業人を結集し、建設的態度を以つてこれが運営発展を図らんとするものである。</p>
<p>１９５４年１０月４日</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-1278" alt="設立趣意書80" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads/2013/11/f0bccc9b82c98bbed46674c31d96c42d.jpg" width="620" height="437" /></p>
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<p><img class="alignnone size-full wp-image-1279" alt="設立承認画像" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads/2013/11/93834658f3790892f25013f80453bbe3.jpg" width="326" height="450" /></p>
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<h4>新潟青年会議所設立から１３年半の期間を経て、社団法人新潟青年会議所を設立する際の設立趣意書も合わせて記載しておく</h4>
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<p>社団法人新潟青年会議所　設立趣意書</p>
<p>予期もしなかった日本の敗戦、その混乱の中で人々は、無欲、無心の放心状態となりました。その様な中で、私達青年がいち早く新しい日本の姿を創造しようという大きな目標をもって立ち上ったのは今から２０年程前、これが日本での青年会議所運動の始まりでありました。 　私達新潟青年会議所もこの激しい日本の平和を願う運動に同調し青年経済人の同士を結集し、昭和２９年１０月に設立されてから１５年近い歳月を経て今日に至って居ります。此の間私達は日本の経済の正しい発展を目指し、指導者訓練を基調とした修練をはかり、産業、経済の実態を私達青年経済人の立場から調査、研究し正しい世論を結集して、地域社会の開発、日本の福祉国家建設に、邁進して参りました。そしてこの新潟青年会議所は会員１２０名を超す大きな組織に発展して参りました。</p>
<p>私達新潟青年会議所はこの際、社団法人として一段と組織を強化し、創立当時の精神とその使命の重要さを再確認し、正しい経済の発展をはかり、若人らしい経済活動を進展させ、平和な福祉国家建設に持てる力を充分に発揮して、活動を展開してゆきたいと思って居ります。 　私達会員は今日の容易ならぬ経済状態において、あえて取り組み、正しい近代福祉国家建設という大きな目的に一歩一歩近づくためにも、会員相互の信頼と切磋琢磨により、よりよき社会建設の為に指導者として人格修練につとめ、経済の発展に尽くす事を期し従来の新潟青年会議所を発展的に解消し、茲に社団法人新潟青年会議所を設立したいと考えます。</p>
<p>１９６８年２月２０日</p>
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		<title>ＪＣＩ国際アカデミー</title>
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		<pubDate>Mon, 19 Aug 2013 20:33:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ＪＣのこころ委員会</dc:creator>
				<category><![CDATA[国際親善に資する事業]]></category>
		<category><![CDATA[１９８０年代]]></category>
		<category><![CDATA[１９９０年代]]></category>

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		<description><![CDATA[『新潟地域ビジョンから９年』 １９８７年（昭和６２年）、当時の福田実理事長のもと新潟青年会議所メンバーが一丸となり、新潟地域の過去と現在を分析し、今後の時代の流れを読み取ったうえで、「自分たちの都市は、こういう都市であり [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: x-large;"><b>『新潟地域ビジョンから９年』</b></span></p>
<p>１９８７年（昭和６２年）、当時の福田実理事長のもと新潟青年会議所メンバーが一丸となり、新潟地域の過去と現在を分析し、今後の時代の流れを読み取ったうえで、「自分たちの都市は、こういう都市でありたい」という目標が設定された。そして、その目標を具現化するための具体的な方策が議論・検討され、「新潟地域ビジョン・にいがたウェルカムシティ」という形で集約された。新潟地域ビジョン策定から９年、新潟空港の滑走路２，５００メートル化などの国際的商業都市としての基盤整備が充実していく一方、より多くの人々にそれらを活用して新潟に来訪してもらうための一つの切り口として、１９９６年（平成８年）津吉孝司理事長のもと、「国際的大規模コンベンションの誘致」活動が大きな一歩を踏み出すこととなる。それが、「ＪＣＩ国際アカデミー」の新潟への誘致活動である。</p>
<p><span style="font-size: x-large;"><b>『ＪＣＩ国際アカデミーとは』</b></span></p>
<p>「ＪＣＩ国際アカデミー」とは、日本青年会議所のメイン事業の一つであり、１９８７年（昭和６２年）１１月のアムステルダムにおける世界会議でＪＣＩの公認行事として正式に承認され、４つの目的を達成されるべく始められた。目的の一つには、世界各地から集まる若者たち同士、並びに日本ＪＣのメンバーとの相互理解を深めること。二つには、トレーニングの機会を与えて明日のリーダーを育てること。三つには、ＪＣＩをより良くし、全体的な発展に寄与すること。四つには、最終的には、恒久的かつ永久の世界平和確立に貢献することである。約１週間の会期の中で、各国の青年会議所リーダーが集まり、指導力向上のトレーニングなどを通じて、全世界的な「ヒューマン・ネットワーク」の構築などを目指して開催されるものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: x-large;"><b>『開催地決定！』</b></span></p>
<p>津吉孝司理事長のもと、次回開催予定の第１０回国際アカデミー開催地としての立候補、「招致推進連絡会議」の発足など、新潟青年会議所の全体事業として様々な招致推進が行われていった。しかし、第１０回の開催地は北九州に決定。国際アカデミー誘致のバトンは、１９９７年（平成９年）の宇尾野隆理事長に引き継がれることとなったのである。宇尾野隆理事長が率いたさらなる誘致活動の結果、ついに第１１回国際アカデミーが新潟の地で行われることに決定したのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: x-large;"><b>『第１１回国際アカデミー』</b></span></p>
<p>新潟開催の決定直後から、開催に向けた様々な活動がスタートし、準備プロジェクトの立ち上げ、新潟県・新潟市等行政への支援依頼、日本青年会議所・理事会へのお礼や挨拶、ホノルル世界会議での次年度開催地としてのＰＲなど、その準備活動は開催の年となる早福豊理事長の時代へと引き継がれていく。早福豊理事長は、国際アカデミーの新潟開催という事業を通じて「新潟青年会議所を一つにしよう」と考え、新潟青年会議所メンバーが一丸となって準備・運営に邁進したのである。１９９８年（平成１０年）７月、新潟で開催された第１１回国際アカデミーには、海外７２ヶ国からの参加者と国内各地域の青年会議所の中心メンバー５４名が参加した。海外からの参加者は新潟市内でホームステイをし、日本の暮らしを体験した。海外を含めた多くの人々に国際商業都市新潟をアピールするに至ったのである。</p>
<div></div>
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		<title>ソ連経済ミッション</title>
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		<pubDate>Sun, 23 Jun 2013 06:54:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ＪＣのこころ委員会</dc:creator>
				<category><![CDATA[国際親善に資する事業]]></category>
		<category><![CDATA[１９９０年代]]></category>

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		<description><![CDATA[『基本方針は』 １９９０年（平成２年）、「ソ連経済ミッション」は、国際商業都市「にいがた」を目指す私達にとって、ロシアなどの対岸諸国との経済交流に対し、具体的に実務的に行っていくには何が必要か、又、私達は何ができるかをを [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: x-large;">『基本方針は』</span></p>
<p>１９９０年（平成２年）、「ソ連経済ミッション」は、国際商業都市「にいがた」を目指す私達にとって、ロシアなどの対岸諸国との経済交流に対し、具体的に実務的に行っていくには何が必要か、又、私達は何ができるかをを考え、行政、知識人、民間、諸団体で行っている活動のネットワークづくりを行い、情報を集約できる機能を持つ、継続性のある受け皿づくりを行いたいという基本方針のもと行われた。</p>
<p><img alt="経済ミッション１" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/05/c0c2a64f008b7c92e8959d3ee099ce5b.jpg" width="567" height="508" /></p>
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<p><span style="font-size: x-large;">『いざソ連へ』</span></p>
<p>１９９１年（平成３年）「ソ連経済ミッション」が開始された。３月にはソビエト連邦の共和国であるリトアニアが独立宣言を、エストニアとラトピアが８月２０日に独立宣言をし、連邦体制は崩壊の最中だった。グローバル開発委員会堀川　政良委員長のレポートによると、「思えば昨年の今頃、ソ連へ行くことが決まっていました。そして、今日までの１年間ソ連の状況は、目まぐるしく変化し、我々の目指していた極東地域は、ソ連邦•ロシア共和国となり、まだ変化をしようとしています。一体どこまでいったらソ連？の将来は見えてくるのでしょうか。今回ミッションでハバロフスク、イルクーツクへ行き。このままでは、済まないと感じました。まったく価値のないルーブル（ロシア通貨）、それゆえに働く意欲がない国民、食料不足、外国からの援助なくしては復興できない経済。我々、物資の豊かな国に暮らしている国民には、考えられない国でした。」とあり、激動するソビエト連邦と国民の生活の実態が綴られた。</p>
<p><img alt="ソ連ミッション２" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/05/7e8d137ab3ca3a261bc0aebff17f4371.jpg" width="633" height="436" /></p>
<p><img alt="ソ連経済ミッション１" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/05/9b03c87a1a3b755ceb725017124dd679.jpg" width="633" height="345" /></p>
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<p>その年の１２月２５日、ソビエト連邦ミハイル•ゴルバチョフ大統領が辞任し、ソビエト連邦は解体した。</p>
<p><a title="1991年" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/1991%E5%B9%B4"> </a>（製作中）</p>
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		<title>アジア経済ミッション</title>
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		<pubDate>Fri, 17 May 2013 07:25:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ＪＣのこころ委員会</dc:creator>
				<category><![CDATA[国際親善に資する事業]]></category>
		<category><![CDATA[１９８０年代]]></category>

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		<description><![CDATA[『新潟から世界へ　世界から新潟へ』 １９８８年（昭和６３年）、アジア経済ミッションは、国際化時代にあって、従来の大都市、とりわけ東京を経由した国際社会との係わり合いではなく、新潟という都市が、そして我々自身が、国の枠を超 [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: x-large;">『新潟から世界へ　世界から新潟へ』</span></p>
<p>１９８８年（昭和６３年）、アジア経済ミッションは、国際化時代にあって、従来の大都市、とりわけ東京を経由した国際社会との係わり合いではなく、新潟という都市が、そして我々自身が、国の枠を超え、都市間相互のまた経済という部分での関連を深め、人・物・情報の交流を行いながら、国際化への道を歩むことが必要と考え、まずメンバー自身のビジネスチャンスに、ひいては国際商業都市新潟の第一歩にならんことを願い執り行われた。<img alt="経済１" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/05/45a2c30ee8199d73dd85927ce58ccc8a.jpg" width="613" height="355" /></p>
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<p><span style="font-size: x-large;">『ミッション（視察）内容は』</span></p>
<p>本ミッションでは３コースに分かれ香港、台湾、韓国を訪問。特に当時香港の生涯基地として脚光を浴びていた中国の経済特区深圳（シンセン）、厦門（シアメン）の視察も行われた。</p>
<p><img alt="経済２" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/05/96d36a0336ae8b242c684a23b18887241.jpg" width="660" height="221" /></p>
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<p>台湾では国際青年商会中華民国総会と交流、またソウルにおいてはヨイド青年会議所の１２周年記念式典に参加。ボーリング大会、ホームステイを通じお互いの生活の場にふれ異文化への理解を深めた。各地で熱気あふれる各国の実体にふれ、日本経済とアジア経済がぶつかり合った瞬間を目の当たりにし、目と足で実感したことは、まさに経済ミッションの価値であった。<img alt="経済４" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/05/2a7ec63b4c75e313bd621f46db5d3474.png" width="594" height="389" /></p>
<p>&nbsp;</p>
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		</item>
		<item>
		<title>新潟・グアム定期航空路誘致活動</title>
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		<pubDate>Sat, 20 Apr 2013 02:32:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ＪＣのこころ委員会</dc:creator>
				<category><![CDATA[国際親善に資する事業]]></category>
		<category><![CDATA[１９８０年代]]></category>

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		<description><![CDATA[『夢の新潟＝グアム便』 １９８９年（昭和６３年）（五十嵐祐司理事長）に当時、チャーター便で結ばれていた新潟＝グアム間の空路を定期化したいという志を持ち、グローバルＮＩＩＧＡＴＡ委員会　冨山道郎委員長を中心にグアム、パシフ [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: x-large;">『夢の新潟＝グアム便』</span><br />
１９８９年（昭和６３年）（五十嵐祐司理事長）に当時、チャーター便で結ばれていた新潟＝グアム間の空路を定期化したいという志を持ち、グローバルＮＩＩＧＡＴＡ委員会　冨山道郎委員長を中心にグアム、パシフィックＪＣを訪問した。同ＪＣは、グアムに６ＬＯＭ、サイパンに１ＬＯＭを構成するＮＯＭである。（ＬＯＭ（Ｌｏｃａｌ　Ｏｒｇａｎｉｚａｔｉｏｎ　Ｍｅｍｂｅｒ）とは地域ごとの青年会議所の事、ＮＯＭ（Ｎａｔｉｏｎａｌ　Ｏｒｇａｎｉｚａｔｉｏｎ　Ｍｅｍｂｅｒ）とはＬＯＭをとりまとめている国ごとの青年会議所の事）</p>
<div><img alt="" src="wp-content/uploads/2013/04/7007d5412b6de455b0e2f8838e8f3884.jpg" width="277" height="401" /><span style="font-size: x-large;">『交流から』</span><br />
現地では、トニー・ラモレナ会頭、タイロン・タイタノ副会頭を始め、ＮＯＭスタッフ、各ＬＯＭ理事長と懇談会が行われた。また、グアムの副知事、議長、在グアム日本総領事、日本人会等を表見訪問するなど、官民主要メンバーとアットホームな交流を体験した。成果は十二分で、グアムの方々の新潟への高い関心を肌で感じ取った。</div>
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<div><img alt="" src="wp-content/uploads/2013/04/c781512d52223ad3afc2c822fcea89ac.jpg" width="472" height="265" /></div>
<div>現在では週２回新潟空港より新潟＝グアム便が運航されている。</div>
]]></content:encoded>
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		<title>ソビエト連邦訪問</title>
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		<pubDate>Wed, 06 Mar 2013 15:38:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ＪＣのこころ委員会</dc:creator>
				<category><![CDATA[国際親善に資する事業]]></category>
		<category><![CDATA[１９６０年代]]></category>

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		<description><![CDATA[『きっかけは地盤沈下』 １９６７年（昭和４２年）に「社会開発計画のためのアンケート調査事業」が実施され、その結果を受けて同年９月「明日の豊かな市民生活と新潟市発展のために」と題するレポートが発表された。その中の提言の一つ [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: x-large;">『きっかけは地盤沈下』</span></p>
<p>１９６７年（昭和４２年）に「社会開発計画のためのアンケート調査事業」が実施され、その結果を受けて同年９月「明日の豊かな市民生活と新潟市発展のために」と題するレポートが発表された。その中の提言の一つが「対外貿易を強力に推進しよう」である。</p>
<p>提言の背景には、当時問題となっていた新潟市周辺の「地盤沈下問題」があった。アンケートによれば、当時の新潟市民の一番の不安は「地盤沈下」であった。戦後の新潟市の経済発展において「水溶性天然ガス」が大きな役割を果たした。しかし、それに伴う大量の地下水汲み上げが急激な地盤沈下を引き起こした。産業の発展と環境保全が二律背反の課題とされたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div><img alt="訪ソ１" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads/2013/03/2d4c1d19e1598c5fba93631560d7ba91.jpg" width="247" height="338" /></div>
<p>&nbsp;</p>
<div><span style="font-size: x-large;">『打開策は、、、』</span></div>
<div>新潟青年会議所は、その打開策を「新工業港を中核とする新潟新産業都市の建設」と「ソ連の液化天然ガス輸入を目前に控えた対岸貿易」にあると見出した。具体的には、</div>
<div>①新潟市とハバロフスク市との姉妹都市運動の一層の推進、</div>
<div>②対岸の若者との交流、</div>
<div>③青年会議所内の窓口設置と調査研究、</div>
<div>④市民へのＰＲ</div>
<div>を掲げた。</div>
<p>&nbsp;</p>
<div><img alt="1967_ソ連革命50周年式典" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads/2013/03/a45b09eb2fa01416307c412c21536fd1.jpg" width="482" height="345" /></div>
<p><span style="font-size: x-large;">『ソビエト連邦へ』</span></p>
<div>好機はすぐに訪れた。その年の１１月、「ソビエト革命５０周年式典」に、姉妹都市ハバロフスク市より新潟市に招待があり、市長（事情により不参加）、市議会議長、商工会議所会頭、新潟日報報道部長とともに、当時の新潟青年会議所の川崎了一理事長が招待されたのである。訪問団は羽田経由でモスクワに行き、中川駐ソ大使、山本社会党書記長、椿参議院議員、NHKの大塚アナウンサーなど知名方々とも同乗した。</div>
<div></div>
<div><img alt="訪ソ８" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads/2013/03/dae63c6812efba54afb219e012b4927f.jpg" width="309" height="434" /></div>
<div><span style="font-size: x-large;"> </span></div>
<div>
<div><span style="font-size: x-large;">『副知事、市長との対談』</span></div>
<div>国内線へ乗り換えハバロフスク市へ。</div>
<div>市長との会見席では来年度実現する新潟～ナホトカ間の定期航路を喜び、新潟～ハバロフスク間の航空路開設については日本側に問題があると指摘され、領事館設置については条件整備が必要ではないかと聞かされた。また、新潟大学とハバロフスク大学との教授交換の実現、新潟まつりパレードへ芸能団の派遣を要望し、検討する旨返事をいただいた。副知事は友好親善は人の交流がまず第一であり、沿岸貿易は両国ともまだ勉強不足である。品目の拡大については研究するという話を得た。また、ソ連では連日の歓待を受けたという話が残されている。</div>
</div>
<div></div>
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