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	<title>JCの歴史｜13新潟JC 一般社団法人新潟青年会議所 &#187; １９６０年代</title>
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	<description>JCのこころ委員会JCの歴史紹介サイト</description>
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		<title>青少年育成</title>
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		<pubDate>Sat, 20 Apr 2013 03:36:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ＪＣのこころ委員会</dc:creator>
				<category><![CDATA[社会開発及び青少年開発に関する事業]]></category>
		<category><![CDATA[１９６０年代]]></category>

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		<description><![CDATA[『きっかけは』 １９６４年から、「青少年不良化防止運動」という事業が開催されるようになった。この時代から青少年と関わる事業が増えてきた。 勤労少年卓球大会や日本ＪＣ事業のひとつで、中学・高等学校へテーマを渡して感想文を募 [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: x-large;">『きっかけは』</span></p>
<p>１９６４年から、「青少年不良化防止運動」という事業が開催されるようになった。この時代から青少年と関わる事業が増えてきた。</p>
<p>勤労少年卓球大会や日本ＪＣ事業のひとつで、中学・高等学校へテーマを渡して感想文を募集したり、高校生のパネラーを集め、彼らが、何を考え、どんな行動をしているかを市民とともに考えてみようという試みで、市民参加型公開例会を開いた。</p>
<p>１９６７年（昭和４２年）、１９６９年（昭和４４年）にはその活動が評価され、日本ＪＣより「青少年問題優秀賞」新潟ＪＣ推薦者が「文部大臣賞」を受賞した。</p>
<p><img class="alignnone  wp-image-653" alt="青年１" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads/2013/04/04b8499bc02ef4cfda5884af48076652.jpg" width="640" height="422" /></p>
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		<title>ソビエト連邦訪問</title>
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		<pubDate>Wed, 06 Mar 2013 15:38:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ＪＣのこころ委員会</dc:creator>
				<category><![CDATA[国際親善に資する事業]]></category>
		<category><![CDATA[１９６０年代]]></category>

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		<description><![CDATA[『きっかけは地盤沈下』 １９６７年（昭和４２年）に「社会開発計画のためのアンケート調査事業」が実施され、その結果を受けて同年９月「明日の豊かな市民生活と新潟市発展のために」と題するレポートが発表された。その中の提言の一つ [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: x-large;">『きっかけは地盤沈下』</span></p>
<p>１９６７年（昭和４２年）に「社会開発計画のためのアンケート調査事業」が実施され、その結果を受けて同年９月「明日の豊かな市民生活と新潟市発展のために」と題するレポートが発表された。その中の提言の一つが「対外貿易を強力に推進しよう」である。</p>
<p>提言の背景には、当時問題となっていた新潟市周辺の「地盤沈下問題」があった。アンケートによれば、当時の新潟市民の一番の不安は「地盤沈下」であった。戦後の新潟市の経済発展において「水溶性天然ガス」が大きな役割を果たした。しかし、それに伴う大量の地下水汲み上げが急激な地盤沈下を引き起こした。産業の発展と環境保全が二律背反の課題とされたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div><img alt="訪ソ１" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads/2013/03/2d4c1d19e1598c5fba93631560d7ba91.jpg" width="247" height="338" /></div>
<p>&nbsp;</p>
<div><span style="font-size: x-large;">『打開策は、、、』</span></div>
<div>新潟青年会議所は、その打開策を「新工業港を中核とする新潟新産業都市の建設」と「ソ連の液化天然ガス輸入を目前に控えた対岸貿易」にあると見出した。具体的には、</div>
<div>①新潟市とハバロフスク市との姉妹都市運動の一層の推進、</div>
<div>②対岸の若者との交流、</div>
<div>③青年会議所内の窓口設置と調査研究、</div>
<div>④市民へのＰＲ</div>
<div>を掲げた。</div>
<p>&nbsp;</p>
<div><img alt="1967_ソ連革命50周年式典" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads/2013/03/a45b09eb2fa01416307c412c21536fd1.jpg" width="482" height="345" /></div>
<p><span style="font-size: x-large;">『ソビエト連邦へ』</span></p>
<div>好機はすぐに訪れた。その年の１１月、「ソビエト革命５０周年式典」に、姉妹都市ハバロフスク市より新潟市に招待があり、市長（事情により不参加）、市議会議長、商工会議所会頭、新潟日報報道部長とともに、当時の新潟青年会議所の川崎了一理事長が招待されたのである。訪問団は羽田経由でモスクワに行き、中川駐ソ大使、山本社会党書記長、椿参議院議員、NHKの大塚アナウンサーなど知名方々とも同乗した。</div>
<div></div>
<div><img alt="訪ソ８" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads/2013/03/dae63c6812efba54afb219e012b4927f.jpg" width="309" height="434" /></div>
<div><span style="font-size: x-large;"> </span></div>
<div>
<div><span style="font-size: x-large;">『副知事、市長との対談』</span></div>
<div>国内線へ乗り換えハバロフスク市へ。</div>
<div>市長との会見席では来年度実現する新潟～ナホトカ間の定期航路を喜び、新潟～ハバロフスク間の航空路開設については日本側に問題があると指摘され、領事館設置については条件整備が必要ではないかと聞かされた。また、新潟大学とハバロフスク大学との教授交換の実現、新潟まつりパレードへ芸能団の派遣を要望し、検討する旨返事をいただいた。副知事は友好親善は人の交流がまず第一であり、沿岸貿易は両国ともまだ勉強不足である。品目の拡大については研究するという話を得た。また、ソ連では連日の歓待を受けたという話が残されている。</div>
</div>
<div></div>
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		</item>
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		<title>指導力開発事業「模擬団交と企業見学」</title>
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		<pubDate>Mon, 04 Mar 2013 15:20:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ＪＣのこころ委員会</dc:creator>
				<category><![CDATA[指導力開発並びに親睦に資するための事業]]></category>
		<category><![CDATA[１９６０年代]]></category>

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		<description><![CDATA[『資質の向上をめざして』 「明るい豊かな社会を築き上げよう」という目的を達成するために会員自らが成長しなければならない。「吾々はＪＣに於いてトレーニングし、事業を通じて奉仕する」という理念のもと、１９６３年（昭和３８年） [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: x-large;">『資質の向上をめざして』</span></p>
<p>「明るい豊かな社会を築き上げよう」という目的を達成するために会員自らが成長しなければならない。「吾々はＪＣに於いてトレーニングし、事業を通じて奉仕する」という理念のもと、１９６３年（昭和３８年）栗山清理事長により、指導力開発事業が行われた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img alt="8kuriyama" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/03/8kuriyama.jpg" width="178" height="217" /></p>
<p><span style="font-size: x-large;">『労使の勉強〜模擬団交〜』</span></p>
<p>１９６３年（昭和３８年）に「模擬団交」をテーマにした例会が行われた。模擬団交が行われた背景として、当時の大企業における労使の慣習が根付いてきたことがある。この時期には中小企業においても労使の問題が様々な形で現れ始めたが、中小企業の経営者は「労組」については全く不馴れで、何の知識も持っていないことが多かった。</p>
<p>このような背景の中、偶然にも商工会議所から「模擬団交をテーマにした勉強をしたらどうか？」という提案があったことをきっかけとして、検討を重ねたうえで、新潟青年会議所のメンバーが組合側と経営者側とに分かれて模擬団交を行った。結論を出すことを目的とせず、予備訓練という形で行われた。その結果、労使問題に対する予備知識を得られ、その後も商工会議所と共に労使協議会を開催し「団交」についての知見を深めることとなった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div><img alt="模擬団交１" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/03/a5702f54160d144fc50336c3714bed6e.jpg" width="208" height="223" /></div>
<p>&nbsp;</p>
<div></div>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: x-large;">『他社を学ぶ〜企業見学〜』</span></p>
<p>新潟市小金町に第二工場を竣工した三菱金属鉱業株式会社を見学した。当工場は粉末冶金の総合工場であり原料から製品まで一貫した作業ラインが施されていた。主要生産品目はベアリングパーツ、リング、フィルター、スライダー等、多角的生産を行っており、生産量は国内最高であった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>新潟火力発電所へ行き見学を行った。構内及び建設過程の説明を受けたのち、「日本海の巨火」と題した映画を鑑賞し、構内見学を行った。この映画は、新潟火力発電所の建設過程を描いた作品であり大変勉強になったようである。</p>
<p><img alt="三星金属工業" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/03/ec5427c95e93e9c1c8f325c326b60e53.jpg" width="529" height="353" /></p>
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		</item>
		<item>
		<title>交通道徳昂揚運動</title>
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		<pubDate>Sat, 02 Mar 2013 12:04:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ＪＣのこころ委員会</dc:creator>
				<category><![CDATA[社会開発及び青少年開発に関する事業]]></category>
		<category><![CDATA[１９６０年代]]></category>

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		<description><![CDATA[『急速に進む自動車社会』 １９６０年代当時、自家用車の急速な普及により都市交通の混乱が発生し、新潟市の秩序ある発展がさけばれ始めていた。当時の自動車の増加ぶりにはあらゆる施策が後手にまわるほどの状況であった。 １９６３年 [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: x-large;">『急速に進む自動車社会』</span></p>
<p>１９６０年代当時、自家用車の急速な普及により都市交通の混乱が発生し、新潟市の秩序ある発展がさけばれ始めていた。当時の自動車の増加ぶりにはあらゆる施策が後手にまわるほどの状況であった。</p>
<p>１９６３年（昭和３８年）６月１８日激増する車の安全運転を念頭に、いくらかでも運転者の注意を喚起できればと新潟青年会議所から道路標識２０基の贈呈が行われた。また、同年９月２７日通行者の安全と交通事故未然防止のために、最も繁雑な万代橋東詰交差点にガードレール２基を新潟東署に寄贈した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div><img alt="道路標識贈呈1963年写真" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/02/f992a82deafec5ee8b81c983d01f007f.jpg" width="322" height="221" /> <img alt="ガードレール寄贈1963年写真" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/02/bc1037c74ed75068c1e759d27f6b2093.jpg" width="311" height="221" /></div>
<p>&nbsp;</p>
<div><img alt="20130204230426425-11-1" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/03/20130204230426425-11-1.jpg" width="272" height="351" /></div>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: x-large;">  『より快適な都市生活のために』</span></p>
<p>１９６６年（昭和４１年）未曾有の大震災をうけた後の新潟市を、“明るく、豊かな住みよい街にするために”のスローガンのもと、資料収集に市の窓口や関係官庁の窓口を訪れ、時間と労力を使い６４項目のアンケートを作成し、２８５８名に送付した。そのうち１４０２名から回答が得られ、当時のコンピュータも活用して集計作業が行われた。一般市民からも関係官庁等からも、この結果を早く知りたい旨の問合せが頻繁に来るようになり、関心の度合いの強い事を認識。さらなる掘り下げを行い、アンケート結果を基に議論を行い、新潟青年会議所からの提言書を作成した。</p>
<p><strong>（１）古い家なみを新しい都市再開発の手法で生まれかえさせる。</strong></p>
<p>都市がいたずらに膨張することが発展にはならない。新たに開発された土地は道路、交通、下水道、電話などあらゆる公共資本が一朝一夕には完備しない。そのため、より快適な都市生活を送るためには既成市街地の開発を図るべきである。西新潟・東新潟の古くからの街には特に要望される。</p>
<p><strong>（２）西堀につらなる寺院を移転させ、敷地を公共用地あるいは、公共駐車場などとして都市再開発上有効に活用する。</strong></p>
<p>西新潟の中心地には、数多くの寺院がつらなって存在する。この中からいくつかの寺院が、新しく郊外に敷地を求めて移転されたら、公共用地あるいは公共駐車場等として都市開発上、有効に活用できるであろうとの意見は市民に深く潜在している。新潟市も英断をもって実行に移してよい時期ではないかと考える。当局をはじめ市民全般の協力を節に要望したい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div></div>
<p><img alt="12kawasaki" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/03/12kawasaki.jpg" width="147" height="184" /></p>
<p>一方、１９６６年（昭和４１年）１２月１１日に放送されたＮＨＫ総合ＴＶの特別番組で、”地方都市のビジョンを考える。新潟市の現実と未来”と題し、新潟青年会議所の収録したアンケート結果を基として、市民の代表の方々と有識者の方々が、市長と共に４０分間対談。説明役として当時の川崎了一副理事長が出演した。また、１９６７年（昭和４２年）２月１８日には新潟県企画部主催の新潟県地域開発研究会に、当時の川崎了一理事長が講師として、”新潟市地域の社会開発計画について”というテーマでアンケート結果の中間報告の概況を説明するなど、非常に関心をもたらした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img alt="交通市長と懇親会" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/03/991e9412f019cca333a4f81bd42f3b70.jpg" width="364" height="252" /></p>
<p>&nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>新潟地震から社会開発へ</title>
		<link>https://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/?p=78</link>
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		<pubDate>Fri, 01 Mar 2013 12:14:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ＪＣのこころ委員会</dc:creator>
				<category><![CDATA[社会開発及び青少年開発に関する事業]]></category>
		<category><![CDATA[１９６０年代]]></category>

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		<description><![CDATA[『地震が起きた』 &#160; １９６４年（昭和３９年）６月１６日１３時１分、震度５の地震が新潟を襲った。 &#160; &#160; &#160; （出典：国土交通省北陸地方整備局『新潟地震の被害状況』http://w [...]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: x-large;">『地震が起きた』</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>１９６４年（昭和３９年）６月１６日１３時１分、震度５の地震が新潟を襲った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img alt="明石通り浸水" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads/2013/03/95bcc734b8d19132b619f505861b2e0b1.jpg" width="654" height="242" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<div></div>
<p>&nbsp;</p>
<p>（出典：国土交通省北陸地方整備局『新潟地震の被害状況』http://www.hrr.mlit.go.jp/bosai/hokurikunobosai/jisin/jisin1.htm）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>液状化現象により街は冠水し、県営川岸町アパートは大きく傾き、ほとんど横倒しになった棟もあった。昭和石油のガソリンタンクが引火したことをきっかけとし、周辺民家にも延焼した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>新潟大火から９年、復興を遂げてきた新潟市は大きな被害を受けた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: x-large;">『新しい街づくりのために、若者たちのビジョン』</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>翌年の１９６５年（昭和４０年）、街の状況を調査するため、新潟青年会議所メンバーにより「新潟地震被害状況調査実施」が行われた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また、崩壊後の新潟市の将来の捉え方について、一般の若い青年からも募集しようと「新潟の未来像」座談会を開催、論文を募集した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>修練委員会により「新潟地震による経済動向調査」が行なわれた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>対象者は商工会議所１,３７８名 回答３７４名。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>１９６６年(昭和４１年）６月５日北陸信越地区協議会にて、「新潟地震による経済動向調査の実施」「新潟地震による損害状況、復興状況、生産販売、収益、金融の動向等の調査」により優秀ローカルＪＣ賞と褒章を授与された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><img alt="みちびきの像" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads_member/2013/03/15b2b346e40b4a3d463b96b54b8e7ef61.jpg" width="737" height="519" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また、全国の青年会議所から寄せられた新潟地震見舞金で県民会館「みちびきの像」を寄贈。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>明るい街づくりのために寄与した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<div></div>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<div><img alt="社会開発計画１" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads/2013/03/d17e558258b2d448ef46a935e0b58b77.jpg" width="269" height="312" /><img alt="社会開発計画２" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads/2013/03/e0169b208661a76dcbc58ae92241b857.jpg" width="231" height="300" /></div>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: x-large;">『震災から社会開発計画へ』</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>１９６６年（昭和４１年）未曾有の大震災を受けた後の新潟市を、明るく住みよい街にするために「明日の豊かな市民生活と新潟の為に」と題し社会開発計画アンケートが行われた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>資料収集に市の窓口や関係官庁の窓口を訪れ、６４項目のアンケートを完成し、市民やロータリークラブ、ライオンズクラブ、青年会議所メンバー総勢２,８５８名にアンケートを行い、１,４０２名から回答を得た。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「新潟市にお住まいになっていちばん不安に思っていることは何でしょうか」に、３位「火災」４位「地震」と震災に対する市民の恐怖心がうかがえた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>一般市民や関係官庁からこの結果を早く知りたい旨の問い合わせが頻繁にあり、中間報告書発行の段階でＮＨＫ総合テレビにて「地方都市のビジョンを考える。新潟市の現実と未来」と題しこのアンケート結果を基として、市民の代表者、有識者、市長と共にその説明役として川崎了一副理事長が出演し討論番組が放送された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<div><img alt="経済" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads/2013/03/4748d5099fe1af3bdc0aee2878824578.jpg" width="303" height="196" /><img alt="社会２" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads/2013/03/65b8350096b8e5029e34ed253bb5af4f.jpg" width="302" height="220" /></div>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: x-large;">『４つの提言書』</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>１９６７年（昭和４２年）社会開発計画アンケートの結果を編集し、４つの提言書が作成された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>１．対岸貿易を強力に推進　（のちに、訪ソ経済親善使節団の訪問となる）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>２．健全なる青少年の育成　（のちに、青年との対話、若者との広場づくりにつながる）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>３．交通問題解決を含めた都市再開発の推進</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>４．生活環境の整備は私たちの手で</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>同年５月２８日北陸信越地区協議会より社会開発計画の実行、市民協同体制の事業により褒章を授与された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>１９６８年（昭和４３年）５月１９日北陸信越地区協議会より社会開発計画の実行、４つの提言により褒章を授与された。<br />
新潟地震をきっかけに市民・行政と共に考え、実行された社会開発計画が、現在の新潟市を形成する一助となった。</p>
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<div><img alt="地震紺綬褒章" src="http://www.niigata-jc.com/2013/jckokoro/wp-content/uploads/2013/03/475405adff0cd3a79c1fb85a817e2a6f.jpg" width="256" height="313" /></div>
<p><span style="font-size: x-large;"> </span></p>
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