姉妹JC

姉妹JCとは、青年会議所に加盟している二つ以上の会員会議所相互間の姉妹関係をいいます。

国際青年会議所(JCI)の信条に則り、経済、文化等に関する交流を行うことによって、会員相互の理解と友情を深め、更に地域社会の産業、文化、教育の発展に対して国際的視野にたった両国間の親善と友好を深めることです。

社団法人新潟青年会議所は下記の組織との姉妹提携を行っております。

大韓民国ソウル汝矣島青年会議所

<汝矣島について>

1968年ソウル特別市の汝矣島開発計画によって商業地域と住居地域、緑地地域、業務地域を含む新しい都市に変化し始めました。汝矣島は、大韓民国ソウル特別市を流れる漢江(ハンガン)の中洲。同市の永登浦(ヨンドゥンポ)区に属します。
アメリカのマンハッタンにたとえられる韓国初の企画新市街地として国会、証券街、放送局が集中し、韓国の政治、金融、放送のメッカとしての機能が増大しており、市民の憩いの緑地空間は、多くの市民が訪れる全国的な名所としても認知されています。

人口:31,126人(男15,122人/女16,004人)

2006/4末現在
在世帯数:11,146世帯 / 面積:8.40平方km
式典訪問の様子はこちら

<汝矣島JCとの交流の歴史>

1980年
新潟JC国家問題委員会がソウル市内の防衛施設を見学する国防視察研修を実施。
1981年
引き続き国防視察研修を実施し韓国国家青年会議所・ソウル地区協議会を訪問。JCメンバーとも交流を深める。
1982年
新潟JCは積極的に姉妹JC締結先の調査を行う。
1983年
姉妹JC締結の窓口となる国際交流委員会が設置される。6月初旬、汝矣島JCが積極的に日本における姉妹JCを探しているとの情報を得て、訪韓、汝矣島JCより盛大な歓迎を受ける。汝矣島JC会長の表敬訪問を受け、新潟JCと汝矣島JCとの姉妹締結の意思統一をなす。 9月理事会において汝矣島JCとの姉妹JC締結が承認され、11月には、ソウルにおいて姉妹JCの調印式を行う。
1984年5月
新潟JC30周年式典に併せ、新潟の地で姉妹JCの調印式を行う。記念事業として、新潟市に於いて韓国物産展、韓日児童画展といった韓国フェアーを行う。
1985年
姉妹JC関係の中において、会員同志の交流だけではなくより発展的な交流を望む声が上がり、その結果共同で新しい交流活動をしようという目的で、次代を担う青少年にスポーツを通じて交流をさせ、国際理解と国際意識の涵養に役立てようと、第1回日韓少年スポーツ交歓会を開催。
1986年
新潟での日韓少年スポーツ交流を予定するも韓国の国情により、子どもたちのパスポートの入手が出来ず中止。
1990年
汝矣島JCとの第2回日韓スポーツ交歓会を実施。
1993年
汝矣島JCと環境問題共同研修を行う。
1995年
第3回日韓スポーツ交歓会を実施。
2000年
2年後の日韓共同開催ワールドカップに向けて、サッカーでの第4回日韓スポーツ交流を開催。
2003年
SARSによる海外ミッション中止。11月には汝矣島JCへのミッションを再開。
2004年9月
新潟JC50周年式典にて、汝矣島JC立会の下新潟JCと板橋JCとの姉妹締結調印。
2005年
第5回日韓スポーツ交流を韓国で開催

中華民國板橋青年商會
http://panchiao.taiwanjc.org.tw/

<板橋の概要>

板橋は台北に近い地理的条件の良い所であり、戦後の発展が著しく、台北市周辺の一大都市へと成長しました。近年この町は新板橋駅特区の開発などで大きく発展しており、その板橋市の張市長は33歳で、台湾の各クラスの自治体でも最も若い首長です。また、板橋は台北県の県庁所在地で、板橋駅前には台北県政府の大きなビルが立ち並び、台湾新幹線の駅も併設され、2006年にはMRTも乗りいれ台北県最大のターミナル駅となりました。

人 口:522,174人

総面積:23.1607平方km
式典訪問の様子はこちら

<板橋JCとの交流の歴史>

1999年
台湾へのポートセール、並びに板橋JC記念式典へ初参加。
2000年
板橋JCと友好JC調印を交わす。
2003年
SARSによる海外ミッション中止。12月には板橋JCへのミッションを再開。
2004年
姉5月、板橋JCと板橋にて姉妹締結調印。
同5月、ASPACペナン大会にて日本JC会頭を立会人に、JCI正式調印。
9月、新潟JC50周年式典にて、汝矣島JC立会人の下新潟JCと板橋JCとの姉妹締結調印。
2005年
2005年第5回日韓スポーツ交流を韓国で開催。

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