ソ連経済ミッション
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『基本方針は』

1990年(平成2年)、「ソ連経済ミッション」は、国際商業都市「にいがた」を目指す私達にとって、ロシアなどの対岸諸国との経済交流に対し、具体的に実務的に行っていくには何が必要か、又、私達は何ができるかをを考え、行政、知識人、民間、諸団体で行っている活動のネットワークづくりを行い、情報を集約できる機能を持つ、継続性のある受け皿づくりを行いたいという基本方針のもと行われた。

経済ミッション1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『いざソ連へ』

1991年(平成3年)「ソ連経済ミッション」が開始された。3月にはソビエト連邦の共和国であるリトアニアが独立宣言を、エストニアとラトピアが8月20日に独立宣言をし、連邦体制は崩壊の最中だった。グローバル開発委員会堀川 政良委員長のレポートによると、「思えば昨年の今頃、ソ連へ行くことが決まっていました。そして、今日までの1年間ソ連の状況は、目まぐるしく変化し、我々の目指していた極東地域は、ソ連邦•ロシア共和国となり、まだ変化をしようとしています。一体どこまでいったらソ連?の将来は見えてくるのでしょうか。今回ミッションでハバロフスク、イルクーツクへ行き。このままでは、済まないと感じました。まったく価値のないルーブル(ロシア通貨)、それゆえに働く意欲がない国民、食料不足、外国からの援助なくしては復興できない経済。我々、物資の豊かな国に暮らしている国民には、考えられない国でした。」とあり、激動するソビエト連邦と国民の生活の実態が綴られた。

ソ連ミッション2

ソ連経済ミッション1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その年の12月25日、ソビエト連邦ミハイル•ゴルバチョフ大統領が辞任し、ソビエト連邦は解体した。

 (製作中)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(進行中)