防衛問題
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『防衛問題とは』

防衛問題は1977年(昭和52年)から開始され、1983年(昭和58年)に一区切りがついている。この間、自衛官による研修会の開催、自衛隊の視察、韓国訪問が行われた。実は防衛問題とは少し離れるかもしれないのだが、この時の韓国訪問が一つのきっかけとなり、ソウル汝矣島JCとの姉妹締結が行われたのである(ここでは詳細の説明を避ける)。

 

 

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『国防を考え、体験する』

この期間に行われた事業について、少し触れてみる。まず、1977年(昭和52年)(石田瑞穂理事長)には、国家問題委員会 橋田憲司委員長のもと、護衛艦乗船体験航海、YS11輸送機、ヘリコプター等の体験、南方海上に行われた一日体験航海での護衛艦等による対潜訓練見学、陸上自衛隊富士総合演習見学が行われている。現場に赴き当時の自衛隊の装備・演習を体験・見学することで、日本の国防について肌身で感じ取れた事業だと推測される。

 

 

 

 

 

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1980年(昭和55年)(敦井榮一理事長)には、国家問題委員会 加藤紘一委員長のもと自衛隊防衛事務官の関 肇氏を招き「我国の国防を考える」と題して講演会が行われている(他にも「日本の防衛と我街新潟」講師関肇氏、「スパイ防止法について」講師熊倉悦子氏、坂詰博氏が行われた)。また、自衛隊航空宇宙ショー見学、国防活動についての研究勉強会、韓国国防視察(14名)、自衛隊艦一日体験航海、自衛隊ヘリコプター体験飛行(3人)が行われた。中でも、韓国国防視察について、敦井栄一先輩は理事長報告書の中で「韓国国防視察も、光州事件後の事でもあり、心配しましたが、14名無事勤めを果たしましたし、韓国JCとの交流の礎となった事は、思い出に残る事でありました。」としていることから、のちのソウル汝矣島JCとの姉妹締結の大きな一歩になったものと思われる。ちなみに文中にある光州事件とは『韓国内に民主化の機運が高まっていた1980年5月17日、全斗煥(チョン・ドゥファン)氏らを中心とする陸軍の少数強硬派が戒厳令(かいげんれい)を全国に拡大し、金大中(キム・デジュン)氏ら野党の有力政治家、学生運動の指導者らを拘束した。金大中氏の基盤であり、激しいデモの起きていた全羅南道(チョルラナムド)の中心都市・光州には戒厳軍を派遣、翌18日に全南(チョンナム)大学の学生らによる抗議デモを弾圧した。』事件である。(出典:朝日新聞デジタル『光州と高雄、響き合う東アジア キーワード:光州事件 2008年3月24~25日掲載 一部加筆http://www.asahi.com/international/history/chapter10/02.html)このような事件の後に韓国国防視察を実行するのは、大変勇気のいる決断であったであろう。

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1981年(昭和56年)(上原 敦理事長)には、国家問題委員会 近藤正夫委員長のもと、「緊張の最前線を訪ねて」をテーマとして韓国第三トンネル、板門店を視察した。ご承知の通り、板門店は、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間に位置する停戦のための軍事境界線上にある村の名前である。この第三トンネルは1978年(昭和53年)に発見されたトンネルである。発見から約3年後の視察であり両国の緊張状態が続いている地域であることから、タイトルの通り緊張する情勢を体験したものと推測される。

 

 

 

 

 

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1982年(昭和57年)(鶴木秀司理事長)には、国家問題委員会 鈴木柾夫委員長のもと、防大出身石井二佐をかこみ、「現状の国防及び身近な諸問題等」についての勉強会が開催された。

 

1983年(与田一憲理事長)には、国家問題委員会 富樫正雄委員長のもと、北方領土視察団が派遣された。